教室に思いを馳せて

元中学校英語教師のブログです。

クリスマスカードを海外のディズニーランドに送ってみよう

11月18日はミッキーとミニーの誕生日でした。

 

東京ディズニーランドのミッキーの家には長蛇の列ができて,入るのに11時間待ちだったそうですね。

 

夢の国ディズニーランド。

 

私たちの普段の生活や時間を忘れさせてくれる,特別な場所。

 

そんなディズニーランドから,手紙が来たら素敵だと思いませんか?

 

今回は,クリスマスカードを海外のディズニーランドに送った話をしたいと思います。

 

 

クリスマスカードは,1年生や2年生の12月の授業で作りました。(まぁ3年生は,そんなことやってる場合ではないですよね。)

 

 

まず赤と緑の色画用紙を適当な大きさに切ったものを用意し,生徒にどちらの色が良いか選ばせます。

 

色画用紙にただメッセージや絵を書くのもいいのですが,私は上質紙を使って雪の結晶を作らせ,それを貼らせていました。

 

雪の結晶の作り方はこんな感じです。↓↓↓

 

1.まず上質紙を正方形にします。(家には上質紙がなかったので,これは娘の折り紙 

 を拝借したもの。学校ではB4の上質紙を使っていました。)

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2.半分にして三角に折ります。

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 3.三角の両端をこのような形に折ります。(できるだけ左右対称に)f:id:takeanote:20181120000621j:plain

 

 4.縦半分に折ります。f:id:takeanote:20181120000702j:plain

 

5.上の部分をはさみで切ります。

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6.下の部分に適当に切り込みを入れます。切り込みが多いほど複雑な模様の結晶になります。

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 7.開くと雪の結晶の出来上がり!これを色画用紙に貼ります。(下は緑色の折り紙)

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 簡単ですが,雪の結晶を色画用紙に貼るだけで,ぐんとクリスマス感が出るのでオススメです!

 

 

こうしてできあがったクリスマスカードを,海外のディズニーランドへ送りました。

 

一度,アメリカのディズニーランドへ送ったら返事は来ず。

 

次の年は,パリのディズニーランドへ送ってみました。

 

すると,しばらくしてちゃんと返事が来たのです!!

 

' Dear Mickey 'とか ' Dear Minnie 'と書いていた生徒へは,それぞれミッキーやミニーのブロマイド(?)に生徒の名前と短いメッセージとサインが手書きで。

 

特定のキャラクターに送らなかった生徒(普通にMerry Christmasから書き始めた生徒)にも,ミッキーやミニー,ドナルドなどのキャラクターの集合写真(こっちのほうがお得感ありだった)に手書きのメッセージが届きました。

 

私がディズニーランドへクリスマスカードを送ったのは,少人数指導をしていたときだったので,もしかしたら人数が少なかったから返事をくれたのかもしれません。

 

少人数指導ではないときは,生徒にディズニーランドの住所を教えて「興味がある人は送ってみてね。」とだけ伝えていました。

 

そして,本当に送った生徒には「返事が来た!」と言っていました。

 

世界中から手紙が来るはずだから,毎回返事が返ってくるとは限りませんが,参考にされてみてくださいね!

 

小学校の外国語の授業でも,時間があるときにクリスマスカードを作らせると楽しいと思います。

 

また,ALTに自分の国でのクリスマスの過ごし方を話してもらった後に,カード作りをしても。

 

カードを作っている間だけ,英語のクリスマスソングを流してクリスマスの雰囲気を楽しんだり。

 

できあがったカードを友だち同士で交換したり,家族にプレゼントしたり。

 

私も生徒たちも,カード作りはとても楽しんだ時間でした。

 

 

ディズニーランド パリの住所はこれだと思います↓ (興味がある方は,一応住所を調べてみてください。)

Disneyland Paris, 77777 Marne-la-Vallee

 

 

 

 

 

 

「鋼の心」なんて持てない  ~「うざい」は「ありがとう」??~

何の研修だったか忘れちゃいましたが,こんなお話をされた講師の先生がいらっしました。

 

「生徒が言う『うざい』は,『ありがとう』と言われていると思いなさい。」

 

 

・・・え?

 

そうなの?

 

生徒の皆さんは,「うざい」を「うざい」っていう意味じゃなくて「ありがとう」という意味で言っていたの?

 

・・・

 

・・・。

 

・・・って,そんなわけないだろーっっっ!!

 

なぁんて心の中で叫びながらお話を聞いていましたが,

 

要は,生徒が言った言葉にいちいち反応していても仕方がない,ということをお話しされていたのかなぁと思います。

 

「うざい」と言われてカッとなったり指導を諦めたりするのではなくて,そこは大人の心で生徒に接しなさい。

 

その言葉を本気にして,決して生徒を突き放してはいけません。と。

 

 

私が持っていた「学級担任の裏ワザ」みたいな本(タイトル忘れた)には,

 

「生徒に何を言われても動じない,鋼の心を持とう。」

 

と書いてありました。

 

なるほど、鋼の心かぁ。

 

そんな強い心を持てたらいいだろうなぁ。

 

でも、鋼の心なんてどんな人が持っているのでしょう?

 

生徒に「うぜー。」と言われて,少しでも傷つかない人っているのでしょうか。

 

もちろん,冗談を言う中での「うぜー(笑)。」は何とも思いませんが。

 

でもこちらは真剣に話をしているのに、それが「うざい」と言われると。

 

あぁ、私の話なんて聞きたくないよなぁと思ってしまいます。

 

それでも生徒に語らなければならない。

 

教師って、本当にメンタルがやられる職業です。

 

 

たしか、教師3年目のときでした。

 

学校に遊びにきていた卒業生2人と、たまたま廊下ですれ違いまして。

 

彼らが2年生の時に、そのクラスの授業は担当していませんでしたが、私も2年部に所属していました。

 

で、すれ違いざまに1人の卒業生が私に

 

「死ねっ!」

 

と言ったんです。

 

ケラケラ笑いながら遠ざかる彼ら。

 

 

授業も担当しておらず、接点もそんなになかったはずの私に、一体何の恨みがあるのか。

 

何が面白くて「死ね」などという言葉を放つのでしょう。

 

私の反応を見たかったのでしょうか。

 

ただただ,呆然としてしまいました。

 

そんなことがあるものだから,教師って…メンタルやられる。

 

 

ええそりゃあもう、何回も「うざい」「キモい」言われてきましたよ。

 

そう言われて心にトゲが刺さったように感じても、自分に「気にしない、気にしない。」と言い聞かせて。

 

そのトゲは家に帰ってからもまだとれなくて。

 

なんとなく嫌な気分が続きます。

 

鋼どころかアルミ箔のようなハートですかね,私。

 

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↑少しずつ銀杏の葉も黄色に。

 

 

まぁ,教師をしていればそんなことは日常茶飯事でしたが。

 

でもね。

 

3年担任をしていた卒業式の日に。

 

生徒指導で手を焼いた一人の男子生徒が、式が終わった後に私を追いかけてきて,いきなり頭を下げてこう言ったんです。

 

 

「先生、一年間お世話になりましたっ‼︎」

 

 

私、一瞬目が点になりました。

 

たしか前日の卒業式練習の時も、態度が悪くて指導したのに。

 

そのときに「うぜー。」と、私に言いませんでしたっけ??

 

キョトンとしてると、その男子生徒はくるっと踵を返して校長先生のところへ走っていきました。

 

校長の次は生徒指導の先生へ。

 

同じように「ありがとうございましたっ!」と頭を下げたみたいです。

 

卒業式本番で、彼にも何か感じるものがあったのでしょう。

 

もしかすると。

 

講師の先生がおっしゃってた通り、「うざい」は「ありがとう」になる…のかもしれませんね。

 

 

とは言え。

 

卒業式の一週間後に,彼は問題を起こしてまた生徒指導することになりましたが。

 

やれやれ,本当に教師ってメンタル大変。

 

 

 

 

 

 

 

今でも捨てずにとってある,一枚の学級通信

「私ね,担任の先生の学級通信を毎週読むのが,本当に楽しみなんです。

 

金曜に娘が学校から帰ってきたら,『早く学級通信出して!』って急かすんですよ。

 

 もちろん今年の学級通信は,4月からずっとファイルにとじてあります。」

 

 

新任で部活の顧問をしていた時,3年生の保護者の方がこう話してくださいました。

 

「担任の先生」とは私のことではなく,50代のベテランの女性の先生のことです。

 

保護者の方によると,「とにかく,学級の様子が手に取るように分かって面白い」のだそうです。

 

学級通信と言えば,今週の活動の様子や来週の時間割と当番表を書いて毎週末発行するもの,と新任の私は認識していました。

 

学級通信を毎回書くのは億劫だ,という話も聞いていましたが(私が副担をしていた担任の先生は,一回しか発行しなかったし)どうやらその先生の学級通信は違うようなのです。

 

学級通信というものを書いたことがなかった私も,それならちょっと読んでみたいなぁとは思ったものの,しばらくたつとそんなことはすっかり忘れていました。

 

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↑ 少しずつ紅葉が始まりましたね。


 

その話を聞いて2か月くらいたった頃でしょうか。

 

その先生の道徳の授業を,私ともう一人の新任の先生二人で見学させてもらえることになりました。

 

たしか,副読本の「奈良筆に生きる」という題材だったと思います。

 

その先生の授業は本当に見事で,よくある「指導例」とは全く違った先生独自の切り口で生徒に発問し,彼らも生き生きと自分たちの意見を述べるのです。

 

その様子を見ていて,一人一人の生徒がとても大切にされているクラスだなぁと感じました。

 

「奈良筆に生きる」という題材から,自分のことや学級のことを改めて考えさせるという内容の授業でした。

 

私たち新任二人は,思わず前のめりになってその授業を見ていたと思います。

 

(その後,私も学級を担任して何度も道徳の授業を行いましたが,あの先生の足元にも及びませんでした。)

 

そして,翌週の月曜日。

 

私たちの机の上に一枚のプリントが置いてありました。

 

それは,その先生の学級通信でした。

 

そう,部活の保護者の方が「毎週楽しみにしている」というあの学級通信です。

 

「あっ!」と思って急いで目を通しました。

 

 

その学級通信は,思っていたよりもとてもシンプルなものでした。

 

B4用紙の左半分を学級の様子(エッセイのような感じ),右半分は生徒の日記をコピーしたものや道徳の授業の感想,来週の時間割やお知らせが書かれていました。

 

そして,その左半分には私たちが道徳の授業を見学にきたこと,それからご自分の新任の頃の話がとても簡潔に,でもとても分かりやすく書いてあったのです。

 

それは,私たち二人への応援メッセージでもありました。

 

初めて教員になって,苦しい日々を送っていた私たち。

 

とても,とても嬉しかったです。

 

教員を退職するときに沢山の資料を処分しましたが,今でもその学級通信は捨てずにとってあります。

 

学級担任をしていたころは,毎週末に学級通信を発行していましたが,その先生のように学級の様子をうまく捉えて簡潔に書くということはできませんでした。

 

でも,「あ,これは学級通信のネタになるな。」といつもアンテナを張っていたのは,あの新任の頃に頂いた一枚の学級通信のおかげだと思います。

 

毎週木曜日になると,「わわ!また学級通信を書かなきゃ!」と焦っていたけど。

 

通り一遍のことだけではなく,ちゃんと学級のことや私の思いなんかを書くと,生徒も保護者も読んでくれていたのではないかなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数学の先生は仕事の効率が良いように思える

それぞれの教科の先生方を見ていると面白いなぁと思いませんか。

 

ざっくり分けると文系や理系,体育会系に芸術系と分けられるのでしょうが,同じ文系でも英語科と国語科のカラーは全く違うと思います。

 

以下は完全に私見ですのであしからず…

 

例えば理科の先生は、とてもマニアックな話で盛り上がります。

 

「私、最近◯◯山(近くの活火山)が膨らんでるように見えるんですけど、皆さんそう見えません?」とか、

 

「昔、こういう実験やったけど、何時間見てても全然飽きないんですよ〜。」とかいう会話が聞こえてきます。

 

同じ理科の先生方は「あー、分かる分かる!」とか言ってましたが、他の人には何のことやらです。

 

社会科の先生方は、いろんな物を沢山持ってる人が多いです。

 

机の引き出しには、珍しい文房具や便利なものやらがギッシリ整頓されて入っています。

 

隣の席が社会の先生だと,「ほら見て,これ便利なんだよ~。」といろんな面白いものを見せてくれます。

 

国語の先生は、やっぱりお話が上手。たくさん本も読んでらっしゃるから、おススメの本を教えてくれます。

 

我ら英語科は、おしゃべり好きな人が多いです。

 

英語部会を開くときは,話し合わなければならないことはさっさと終わらせて,世間話をします。

 

その上「僕、コーヒー入れてきましょうか。」と気がきく男の先生がコーヒーを入れてくれたりするものだから、ますます話が止まりません。

 

そして、数学の先生方は仕事の効率が良い方が多いです。

 

数学部会なんか,要点を押さえてサクッと話し合いを終えたら解散して次の自分たちの仕事に移ります。

 

「いかに効率よく仕事ができるかをいつも考えてるのよ。無駄なエネルギーは使いたくないからね。」とおっしゃる数学の先生もいらっしゃいました。

 

私は公務分掌でその先生と同じ「教科書」の係をしていましたが,私が思いつかないような方法で仕事をこなしていました。(具体的にどうしていたかを書くのはちょっと難しいです。すみません…。)

 

他の数学の先生は,ファイルを整理する棚を買うのではなく,段ボール箱を立てて本棚にしています。

 

「こうするとさ,引っ越しの時にそのまま運べるから楽でしょ。」と。

 

ちょっとしたことなんでしょうけど,そういうことの積み重ねが大きな差になるのだと思います。

 

3年生を担任していたころは,成績のデータ分析のやり方を数学の先生から教わりました。

 

一冊のノートにパソコンで処理したデータを一人分ずつ貼って,生徒の志望校や三者面談でアドバイスしたいことなどを書き込んでいくというような方法でしたが,これがとても役に立ちました。

 

生徒が志望校を変えたいと言ってきたときにはその理由を書き込んだり,進路担当の先生からの情報をメモしたりと,年間を通してそのノートを使いました。

 

ノートのおかげで,膨大な資料や情報でごっちゃになりそうな頭も,整頓できるようになったと思います。

 

 

もちろん,数学科以外の先生も効率の良い仕事をされています。

 

でも,「え!そういう方法があるの!?」と思うような仕事をされているのは数学科の先生が多かったように思えます。

 

思いっきり文系な私。

 

数学的思考力がある人に憧れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休憩時間にコーヒーを飲むときに気をつけたいこと

私はコーヒーを飲むのが好きです。

 

一日に必ず一杯は飲みます。

 

コーヒーの香りにも癒されますし,飲むとなんだか気持ちがシャキッとするような気がするからです。

 

現役で働いている時にも,休憩時間にいつもコーヒーを飲んでいました。


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 ↑ 愛用していたスタバのタンブラー。コーヒーカップよりも保温性があるし、うっかり倒してもこぼれにくいから安心。



職員室にもコーヒーメーカーや,インスタントコーヒーのビンが置かれていました。

 

そのため,コーヒーを飲むことは別に当たり前だと思っていたのです。

 

そう,当たり前と思っていたのです・・・


が!!

 

ある日のことです。

 

休み時間に職員室でコーヒーを一口飲んだあと,教室に入ると一人の女子生徒が話しかけてきたのでそれに応えました。

 

すると,その女子生徒はちょっと嫌な顔をして友だちのところへ走っていきました。

 

そして,聞こえてしまったのです。

 

その女子生徒が「先生の口,臭かった…」とボソッと言ったのを!!!

 

「えぇーーーっ,やだーーー!」とその友だちが言ったのも聞こえました。

 

顔からサーッと血の気が引きました。

 

今まで「優しくて素敵な英語の先生」を目指していたのに。

 

一瞬で「優しいけど口が匂う英語の先生」になってしまった…。

 

最悪なことに,その女子生徒はとても良い子だけどおしゃべり好きな子。

 

きっとあっという間にその話題は広まることでしょう。

 

呆然と立ち尽くす私。

 

 

そして,思い出したのです。

 

自分が中学生の時に,友だちが無邪気に「コーヒーってさ,飲むと口が臭くなるよねっ!」と話していたのを。

 

私はその頃はあまりコーヒーを飲んだことがなかったので,「へー,そうなんだ。」ぐらいにしか思っていませんでした。

 

なぜ今までそのことを忘れていたのでしょう。

 

なぜコーヒーなんて独特の匂いがする飲み物を飲んだ後,平気で授業をしていたのでしょう。

 

なぜ自分の息のことに,もう少し気を配れなかったのでしょう。

 

今さら後悔しても,ミントのようなさわやかな口臭に変わるはずもありません。

 

その授業の間,できるだけ自分の息が生徒にかからないように気をつけながら過ごしました。

 

その苦しかったこと。

 

そして,そんなときに限ってマスクをつけていないというね…。

blog.takeanote-en.com

 

だから私,ショックのあまり職員室でコーヒーを飲むのをしばらくやめました。

 

緑茶や紅茶だと口臭の予防にもなるということで,それらを飲むことにしました。

 

コーヒーを飲むのは放課後,生徒に会わないときに。

 

でもやっぱり飲みたいときは,飲んだ後に水飲み場でうがいをするようにしました。

 

それだけでも匂いは随分軽減されたと思います。

 

コーヒーがお好きな先生方,どうかお気を付けくださいませ。

 

生徒は思っている以上に匂いに敏感,です。

 

 

 

 

 

 

生徒に恐がられている先生がふと見せる優しさ

ある男性の先生が、こんなことをおっしゃったことがあります。

 

「A先生は普段生徒たちから恐がられているけど、あの先生がふと優しい言葉をかけると生徒は途端に心を掴まれるんだよなぁ。」

 

あー、これは本当にそうだなと思いました。

 

いつもは生徒に厳しい先生が、声のトーンも柔らかくして優しい言葉をかけると、生徒たちの心に響くようなのです。

 

「A先生は,本当に私のことを分かってくれているんだ。」と,生徒はその先生を信頼する。

 

それは、普段から生徒に恐がられていない私のような者が、同じ言葉をかけた時の倍の効果があるように思えます。

 

これは人間の心理、なのでしょうか。

 

例えば、ヤンキーが飲んでいたジュースの空き缶をちゃんとゴミ箱に捨てたら、「あの人本当は良い人なのね!」と思うのと同じことなのかもしれません。

 

普通の人が空き缶をゴミ箱に捨てても、何とも思わないのに。

 

当たり前のことをするだけで,ヤンキーは「実は良い人」「あの人はあんな風にしているけど,本当は優しい人なんだ。」と思ってもらえる。

 

と言うよりも,私たちはそう思いたいのでは???

 

また、実家の母は私の妹(これも元ヤン)が最近台風のときに心配して電話をかけてくれるようになって、「あの子もお利口になったわ〜。」と言います。

 

私、週一ペースで実家に電話してますけど?みたいな。

 

私はそこまでありがたがってもらえているように思えません・・・

 

 

他の人から恐がられているような人って、実は得しているのでしょうか?

 

それに対して私のような生徒からなめられやすい人は、やっぱり損しているのでは?

 

私って性格からしても教師に向いていないのかなぁ。と,その男性の先生の言葉を聞いてちょっと落ち込んでしまいました。

 

 

だけど,こうも考えてみたのです。

 

だったら、その逆はどうだろう?

 

普段から優しい(つまり恐くない)先生が、いつも見せない態度で生徒を叱り飛ばしたら?

 

(自分なりの)厳しい姿勢を見せた時に,生徒はどうだっただろうか?

 

 

そう、これもやっぱり生徒の心に少なからず響いていたと思うのです。

 

私たちが真剣に叱ると、生徒も何かしら感じます。

 

それは普段厳しい先生が、同じ言葉をかけた時よりも効果があるのではないかと思えるのです。

 

恐い先生と恐くない先生、どちらが得ということはなく。

 

どちらもその先生のカラー,その先生の良さがあるのだと思います。

 

そう考えたときに,「あぁ,私は私のやり方でいいんだ。」と少し心が軽くなりました。

 

私は「いつも生徒に厳しい先生」になるのは無理だったけど。

 

叱るべき時には全力で叱る。

 

それだけで十分なのではないでしょうか。

 

一筆箋を常備しておく

お手紙を保護者の方に宛てて書くときや、書類を他校の先生や教育委員会へ提出するときなどがあります。

 

そんなときに使えるのが一筆箋です。

 

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↑ かわいいものも好きだけど、お仕事用なのでちょっと上品なデザインのものを選んでいました。

 

特に書類を送るときは、付箋紙ではなく一筆箋を添えた方が断然印象がいいと思います。

 

送られてきた封筒を開けたとき、ただ書類だけが入っているのってちょっと寂しい。

 

下手でも丁寧な文字で書かれたお手紙が入っていたら、誰だって嬉しいのではないでしょうか。

 

私が女性だから、とかではなく、これは男性の先生から教わったことです。

 

また、できれば季節に合った一筆箋を持っていると素敵だと思います。

 

桜や金魚、紅葉や雪など季節が感じられるものを持っておくと重宝します。

 

一筆箋、机の中に忍ばせておいてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

マスクマンと呼ばれる季節

11月になり、太陽が顔を出さないと少し肌寒く感じる日も出てきました。

 

だんだん寒くなってくると、風邪を引いたり体調を崩したりする人も出てきますね。

 

特に私は体が丈夫な方ではないので、寒さ対策と風邪対策には気をつけていました。

 

冬になると職員室ではストーブをつけますが、授業で職員が誰もいないときは当然消さなければなりません。

 

それでストーブをつけたり消したりするのも面倒なので、放課後以外はストーブを使ってないことも多かったと思います。

 

教室には暖房がなかったし、体育館や武道館などは底冷えするので、冷え性の私にはこたえました。

 

生徒は制服だけなのに,私はダウンジャケットで厚着…というわけにもいかず。

 

だからもう、冬は毎日腹巻ヒートテックは手放せません。

 

ズボンの下にもヒートテックのレギンスを履いていました。

 

そして真冬には、腹巻に小さなポケットがついていたので、その中にはカイロをイン。

 

家では体のを中から温めるために生姜をお味噌汁に入れたり、生姜入りのホットドリンクを飲んでいました。

 

それに加えて常に着用していたのがマスクです。


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↑ 無印のポーチには、マスクを2枚常備しています。

 


自分が風邪を引いていなくても、マスクをつけていました。

 

もちろん授業中やホームルーム、人と話すときはマスクはつけません。

 

でも、ほとんどマスクをつけていたので、授業を担当していなかった一年生からは密かに『マスクマン』と呼ばれていたようです。

 

素顔をあまり見せてくれないマスクマン…。

 

春と夏はマスクしてませんけど。

 

 

寒さ対策も風邪対策も、全ては学校を休みたくないからでした。

 

特に三年生を担当しているときは、絶対に風邪をひきたくありません。

 

自分の風邪が生徒にうつってしまうなんて,もってのほか。

 

だけどやっぱり,初任の頃は体調管理が全くできていなかった私。

 

何度か学校を休んで(精神的なのも少しあったかも)、周りに迷惑をかけまくっていました。

 

もう、あの頃の自分にグーパンチしたいくらいダメだった私。

 

体調管理も仕事の1つですよね。

 

「絶対に風邪をひくもんか!」という気合?も足りなかったんだと思います。

 

そういえば、三年生を担任していた年の冬に,夫がインフルエンザにかかったことがありました。

 

もちろん夫は家の中で隔離。

 

まさか家の中にトラップがあるとは…。

 

家の中でもマスクマンだったことは言うまでもありません。

 

そして,退職した今でも習慣でマスクが手放せない私。

 

もしかして,「マスク依存症」とやらの一歩手前かも?

 

これからどんどん寒くなる季節です。

 

くれぐれも風邪にはお気をつけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性教師が服装でまず一番に気を付けなければいけないこと

教員を退職した今も,主人を会社へ車で送り迎えするときに気になってしまうのが,街行く働いている女性の服装です。

 

男性はスーツがほとんどですが,女性は首元にスカーフを巻いたりネックレスやピアスなどの素敵なアクセサリーを身に着けたりハイヒールを履いていたりと見ているだけでとても楽しいです。

 

でも,私が教員だったらこんな服装はできなかったなぁと思うファッションがほとんど。

 

ファッション雑誌に出てくるような服装は,ほとんどが学校では切ることができないものでした。

 

なぜなら,私が学校できる服装に一番に気を使っていたことは

 

どの角度から見ても絶対に下着が見えないこと

 

だったからです。

 

初任の頃,私がやっぱりやらかした失敗の一つが服装でした。

 

社会人になってお給料ももらえるようになって,自分の好きな服装で通勤していました。

 

もちろんカジュアルではない服を選んでいましたが,ひざが少し隠れるくらいの短めのスカートや襟ぐりが広めのカットソーなどを着ていました。

 

女子生徒は「先生,今日の服かわいいね!」なんて言ってくれるのでそれでいいと思っていたのですが,男子生徒は違っていました。

 

彼らはどうやら私の服装を別の意味で楽しんでいたようなのです。

 

ブラウスからうっすら透けて見えるブラのひもや,ストッキングを履いた足などを見ていたようでした。

 

それに気が付いてからは長めのスカートを履いたりブラウスを着るのを止めたりしましたが,私もまだ新卒で若かったのでそれでも時々はかわいい服を着ていたと思います。

 

そんな私が完全に服装に気を付けるようになったのは,ある大きな失敗をしてしまったから。

 

それは,自分のクラスでの英語の授業中でのことでした。

 

教科書本文のCDを流そうと思って,ラジカセにスイッチを入れようと前かがみになった時です。

 

教室の空気がちょっと変わりました。

 

(あれ?)と前を見ると,一番前に座っていたおとなしい女子生徒が顔を真っ赤にしていたのです。

 

なんと,私の(乏しい)胸元が前かがみになった時に生徒に見えてしまっていたのでした。

 

その時は何も気づいていないふりをしてやり過ごしましたが,内心顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。

 

当時の流行だったのか今もそうなのか分かりませんが,割と襟ぐりが広いデザインのものが多く,中にキャミソールを着ても角度によって胸元が見えやすかったのです。

 

特に,お世辞にも胸が大きいといえない私のような女性はそう。

 

あとで聞いたのですが,両面テープで自分の肌と服を貼りつけて絶対に胸元が見えないようにしているという方もいらっしゃいました。

 

私も時々真似していましたが,両面テープが肌に合わない気がしてあまり続きませんでした。

 

それで,現役の頃は見つけられなかったのですが,これはいいなぁと思うのが無印良品のタンクトップです。

 

タンクトップと言ってもメーカーによっては襟ぐりの広さがだいぶちがうのですが,無印のものは襟ぐりが浅いデザインなので,絶対とは言い切れませんが胸がアレな私でも胸元が見えにくい。

 

初めて見つけた時は「私が探していたのはこれよ,これ!」と思わず口に出してしまいました。

 

それと私が気をつけていたことがもう一つ。

 

ズボンはしゃがんだ時にパンツがチラ見えしないようにすること。

 

これも私の大失敗から。

 

掃除時間に生徒と一緒に雑巾がけをしている時に,うっかり見えちゃったんですね,私のパンツの上の部分がチラッと。

 

年齢はもう30過ぎていましたが,これもやっぱり恥ずかしかったです。

 

それで,丈が短めのシャツではなく長めのシャツをできるだけ選ぶか上からジャンパーを着るようになりました。

 

結果,ファッション雑誌からは程遠いような服装になっていってしまうのですが,ある程度は仕方がないと思っていました。


ボートネックなんか、私は絶対に着ることができません。


「どーぞ私の胸元をみてちょーだい。」と言っているようなものだから。

 

一番は,教師の服装で生徒の心を乱さないこと。

 

だと思います。みんなお年頃ですからね。

 

それを注意した上でオシャレするのはいいと思います。

 

それでも,入学式や卒業式,始業式と終業式などの式の時はいつもとは違って綺麗めな格好で臨んでいました。終わったら着替えますけどね。

 

生徒からは「誰!?」てな感じで毎回言われていました。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道徳の授業ってやっぱり大切

私が初任の頃に副担をさせていただいたクラスの担任の先生は,少し変わった方でした。

 

男性の先生でしたが,教室の生徒の机を二つずつくっつけて配置されていました。

 

その分スペースができて机間巡視しやすいと言えばしやすいのですが,席がくっついているものだから,隣の人と当然おしゃべりがしやすい。

 

特に,新任の私の授業なんかは私の声が聞こえないほどでした。

 

でもそれが,「自分のポリシーなんで。」ということ。

 

また,学級通信も4月に一度出したきりであとはゼロ。

 

それも「自分のポリシーなんで。」だそう。

 

そしてなんと,その担任の先生は一年間に一度も道徳の授業をしませんでした。

 

これも「ポリシー」なんだとか。

 

学級の棚に入れられた道徳の副読本は,新品のままでした。

 

そのポリシーとやらで担任の先生はうまく学級経営を行っていたようですが,一番困ったのは道徳の授業がある日でした。

 

体調を崩すことが多かったその先生は,学校を休まれることも少なくありませんでした。

 

しかも,なぜか道徳の授業がある日に限ってお休み。。。

 

で,副担の私が自習監督をしなければならないのですが,生徒たちは静かに読書なんてするはずもなく大騒ぎ。

 

毎週毎週ほんとうに苦痛の50分間でした。

 

そして,私はその一度も道徳の授業をしていないクラスで,道徳の研究授業をしなければならなかったのです。

 

たしか12月の寒い時期だったと思います。

 

道徳の副読本にある「裏庭での出来事」という題材を選びました。

 

同じ学年部の先生方も沢山アドバイスをくださり,何度も何度も指導案を練り直しました。

 

放課後,寒い教室で先生方が生徒役をしながら模擬授業も見てくださいました。

 

その担任の先生は5時になったらすぐに帰る(これもポリシー)方だったので,残念ながらあまりアドバイスはいただけませんでした。

 

そうして迎えた研究授業当日。

 

いつも私の授業では騒ぐ生徒も,多くの先生方が教室に入ってこられるとウソみたいに静かにしていました。

 

何度も指導案を練り,模擬授業も行っていたので私もまったく緊張しませんでした。

 

そして,本当に不思議なほど指導案通りに,というか予想通りに授業が進んでいくのです。

 

生徒の反応や意見,感想がうまいぐあいにこちらの狙い通りのものでした。

 

それは学年部の先生方が「多分こういう発問をしたらこんな反応が返ってくるよ。」とか,「こういう意見を生徒がワークシートに書いていたら,それを板書してあげて。」などと的確なアドバイスをくださったからに他ありません。

 

そして,気がつくと生徒もなんだか授業を楽しんでいるように見えたのです。

 

「あ,この子たち,今ちゃんと考えてる!」と思いました。

 

普段の私の授業ではそんなことは一度もなかったし,道徳の授業を一度もしていないクラスだったので,予想外のことでした。

 

授業は最後までうまくいき(私なりに),ホッとしながら教室を出ると,一人の男子生徒が私にこう言ってきました。

 

 

「先生,授業,大成功だったね!!」

 

 

私は涙が出そうになるのをこらえながら,「ありがとう!」と返しました。

 

その言葉がどんなに嬉しかったか。

 

その後の英語の授業はやっぱりいつも通りめちゃくちゃでしたが,その言葉は暖かいお守りのようなものでした。

 

 

道徳の授業が苦手という方もいらっしゃいますが,私は結構好き,です。

 

どう流れを持っていくか,どんな発問をするか,どう締めくくるかなど悩むことはたくさんあります。

 

でも,教材を通して様々な人の生き方や考え方を知ったり,他の生徒の意見を聞くことはとても大切なことだと思います。

 

そして,その生徒の様々な意見を聞くことが私は好きです。

 

準備に時間はかかるけど,時間をかけて準備したほどやっぱり生徒のくいつきも違ってきます。

 

自分はこう思っていたけど,こういう考え方もあるのか,と気づけるのが道徳の授業の良さではないでしょうか。

 

 

そう言えば,道徳の授業をしないポリシーを持っていたあの担任の先生は,10年後くらいに地区の道徳の研究員になってらっしゃいました。

 

ポリシー変えたのね。。。